京都府京丹後市久美浜町の岡田九季(くき)さん(51)が今春、府立久美浜高を最後に29年間務めた高校教員(国語科)を辞した。府立看護学校(与謝野町)に入学し、看護師を目指し勉学に励んでいる。高齢化が進む地域社会で、医療の分野で役立ちたいと一念発起した。目指すは在宅・訪問看護だ。【塩田敏夫】

 岡田さんは大阪府枚方市出身。母親は花子さん。花を支える「くき」になってほしいと「九季」の名前が付けられた。そして、1年に九つの季節があることが感じられるような豊かな感性を持ってほしいとの願いも込められた。

 小学校の時、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」を読み、賢治の童話が大好きになった。京都教育大に進み、卒業論文は「宮沢賢治の童話研究」を選んだ。1989年に卒業し、1年間大阪府内の高校の常勤講師を務めた。翌年から京都府立の高校教諭として採用された。

 初任地は久美浜高だった。その後、網野、峰山、加悦谷高と丹後の学校に勤務し、13年から再び久美浜高の教壇に立った。カヌー部の顧問としても活動し、忙しい日々を送り始めたが、「久美浜高が教員生活としてのゴールになるだろう」と直感した。

 それは人生の中で最も活力があり、のびしろがある高校生を相手にするのは久美浜高が最後になるとの思いだった。「自分は前に出て生徒を引っ張っていくタイプ。知力、体力は定年の60歳までは持たないだろう」との感覚を抱いた。また、15年に初めて学年部長に指名され、今春まで3年間務めた。教員として学年全体を見る責任ある立場に置かれ、精いっぱいやるだけのことはやったとの思いもあった。

 教員を辞める選択に家族は反対だった。これまで地道に積み上げてきた教員としてのキャリアを考慮し、「もったいない」との意見だった。しかし、最後には「自分の人生だから自分で選べばいい」と背中を押してくれた。

 府立看護学校(3年制)の入学試験は社会人枠ではなく、一般入試で挑戦し、合格した。久美浜高で生徒指導に集中し、受験勉強の時間はほとんど取れなかったが、試験前の冬休みに集中的に勉強した。

 府立看護学校のモットーは「人間愛」。哲学をはじめ、幅広い教養科目から物理、実習と密度の濃い授業が続く。予習、復習は欠かせない。今春まで教えていた18歳の生徒が多い同級生と机を並べるが、「ほとんど違和感はない」と笑顔を見せる。

 岡田さんは「これまでは高校の教員の仕事があり、家族のことは二の次、三の次でした。まだ小学4年生の次男がおり、これからの人生は力をかける割合を自分なりに考えていきたい」と話す。

 看護学校を卒業したら数年間は病院に勤務してさまざまなキャリアを積みたいと考えている。そして、将来は在宅・訪問看護の仕事を目指す。「体の続く限り働き続けたい。地域のために役立ちたいと思います」と語った。