さゆろぐ

50代の難病患者(SLE・SJS・うつ併発)の生活・・・全身性エリテマトーデス(SLE)・シェーグレン・うつ他

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辛い症状にやっと病名が付いた日ーSLE(全身性エリテマトーデス)

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さゆです。

 

 

難病「膠原病の全身性エリテマトーデス(SLE)

と診断された。その頃のことです。

 

「膠原病」の専門医を探して・・・

 

膠原病を診てくれるという医師を訪ね、

やっと膠原病の検査をしてもらえたのが

平成18年の2月でした。

そして、一回目の検査で

全身性エリテマトーデスと診断され、

難病指定の手続きをするように言われました。

 

この時まで、何度も

原因不明の疲労感や身体の痛み

とにかく体調がすぐれない日々を過ごしていました。

 

20代の頃はドクターショッピング状態になり、

「怠(なま)けたいだけだろう?」

と面と向かって医師に言われ、ショックを受けたことも。

 

血液検査で、いつも風邪をひいているくらいの

低い炎症反応が確認されるのに

原因が全くわからないまま、

20年以上経ってのやっとついた診断でした。

 

それまでの症状について

 

 思い起こせば幼稚園の頃には、

なんだかわからないけど足が痛い!

どこって、指をさせないけど

足が痛くてしんどい。

 

そんなことを言っては

親を困らせていました。

 

もちろん、医者も相手にしてくれません。

 

一年に一度は40℃の熱をだし、

普段から疲れると、熱を出し寝込む。

 

小学校・中学校では、早退や保健室の常連。

高校では、卒業できるように

単位を計算をしながら

早退や休みをとって、

何とかギリギリ卒業。

 

また、従姉妹たちと海に行くと

必ず私だけが寝込みました。

そして、夜祭にはひとりお留守番。

 

なんだか身体の弱い子。

そんな風に思われて育ちました。

 

腎臓を病んで、治療しても治療しても

すぐ再発し、医者にさじを投げられたのは

20代前半のころ。

 

この時もずっと炎症反応があるのに

どこが原因なのかは不明。

 

血液検査で炎症がずっと続いているのに

なぜ、わからないのだろう?

そう思って聞いても

「医学はまだまだ、わからないことだらけだからね。」

と言われるばかり。

あの頃に膠原病のひどい症状が出ていたら

もしかしたら私は今、いないのかもしれません。

 

運がいいのか?悪いのか?

 

実を言えば、私は18歳のころ

自分は50歳までしか生きられない。

と信じ込んでいました。

が、まだ、生きています(^○^)

数年の誤差?の可能性もありますが!

 

膠原病を疑ったきっかけ

 

なんだかわからないけど、

身体が弱い。

だけど、見た目はとても健康そう。

 

下肢に発疹がたくさん出て、

スカートもはけないほどの状態になったのは

29歳の時でした。

 

皮膚科に行くと、その場で生検!

レーザーメスで、皮膚を切り、

奥深い動脈を切り取られました。

 

え?え?という間の先生の決断。

しかも!私の性格を知ってか、

予約検査でなく、すぐに切ったところが

すごいですよね?

絶対私、逃げますものw

 

後日、「紹介状」を持たされ

杏林大学付属病院へ・・・。

 

疑い病名:PN(結節性多発動脈炎)

 

三カ月ほど通いましたが

血液検査の結果、治療を必要としない。

との診断で、

「悪化したら診せに来て」と。

 

ここでいったん、膠原病の疑いはなくなりました。

 

時はすぎ、39歳。

私は妊娠をしました。

妊娠はするものの

初期流産をくりかえし、

自分でも年齢的に、これが最後かな?

大事にしようと思っていた妊娠。

 

が、残念ながら

「子宮外妊娠」でした。

腹部切開で卵管と共に元気なたまごちゃんを

失っておしまい・・・。

 

精神的ショックも大きかったです。

 

また、術後の周りの対応、反応も

かなり私を追いつめました。

 

休ませてもらえず、仕事を強要。

そこに心無い言葉。

 

術後4カ月たっても体調がすぐれず、

調べてみたら・・・。

わたし、やっぱり膠原病?

 

不定型な「膠原病」の症状

 

そして、はじめにもどります。

検査を受け、その結果

SLE(全身性エリテマトーデス)と診断され、

その後、抗リン脂質抗体も出たことから

医者がいきなりハッスル。

 

抗リン脂質抗体は、流産の原因でもあるのです。

ただし、血液が固まりやすいことから

へその緒への血管が詰まり

妊娠中期に流産するというのが、おおい症状の一つ。

 

一方、私は初期ばかり。

医師としては、もう一度

私に妊娠してほしかったようです。

 

最後と思っていたけれど、

医師がやけに妊娠に協力的・・・。

薬にも気を使ってくれている。

 

ただ、何冊も本を買って読んだけれど

SLE患者の妊娠・出産はやはりたいへん。

 

産科の医師を訪ね、病気と妊娠について

相談をし、一般病院では無理と判断。

 

そして、一番の問題は、

出産後、病気が悪化する可能性が高いこと。

 

子供の面倒はもちろん、

私自身も世話を受けなければならない可能性も。

 

面倒をみてくれる人は、私にはいませんでした。

 

そのことを医師に伝え、

妊娠を諦めると伝えると

態度が一変!

 

ドクハラです。

なんで?

こんなことまで、言われなきゃならないの?

という言葉を、たくさん言われました。

 

病気をみつけてくれたけれど、

同じ医者に精神的にボロボロにされました。

 

私は軽度のSLE患者です。

いまでも、私は本当にSLE?と疑います。

 

SLEでの入院歴はありません。

辛い症状はあるけれど、

SLE特有の症状は数える程度。

 

補体価が低いことが、SLEの活動期の指標とされますが、

私は体調が悪い時ほど、補体価が異常上昇。

 

症状だけでみると、まったくSLEらしくないのです。

 

でも、SLEなのだそうです。

今年大学病院で、

「アミロイドーシス」の検査を受けた際に

『検査結果からみると、SLEという診断になる。』

という、なんだか不思議なお言葉をいただきました。

 

オーダーメイドな症状なSLE

 

結局、SLEの症状は本当に人それぞれで

同じ経過をたどる、という病気ではないらしいです。

 

私のようなイレギュラーもあるとのこと。

 

いちど寛解(かんかい:治ったわけではないが

症状が落ち着いている状態)

になった後も、検査を受けて管理をしなければ

突然の悪化や死も珍しくない病気。

 

遺伝性は確認されていませんが、

私の父方には、

今現在、SLE2人。

他の膠原病1人。

多いですよね?

 

原因がまだはっきりしない。

完治させることは考えられていない。

現状より悪くならないように管理する。

 

いまのところ、

このような病気、なのでしょうか?

 

今・これから

 

ぶろぐにも何度も書いたように、

ただいま失業中。

 

SLEのせいなのか、

その後に発症したウツのせいかは分からないまま。

 

とりあえず、身体と心を休ませる時間をいただきました。

 

今後についてはちょっと、問題。

 

驚くほどここ数年で体力が落ち、

まぁ年齢のせいもありますが、

それだけじゃ語れないスピードで、

出来ないことが増えています。

 

なので、まずは精神で障害者手帳を申請します。

 

働くことも考えていますが

今までと同じは、きっと無理。

 

これだけは、気合で突っ走ると

迷惑をかけてしまいますから。

 

「寿命がわかればいいのに。」

時々、思います。

そこから逆算して、今後を考えられたらいいのに。

 

まとめ?

 

いくつになっても

将来設計はむずかしい!

 

以上! 

 

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