えっ?
好きでこんなことになっているわけではないんですけど・・・
専門を持たない・さゆ・です。
はじめは何かになろうとしていた?
思えば18歳。
高校を出る頃には、「10年間は好きなことをやる!!」
と勢い込んで突っ走っていたなぁ。
学校というモノがつまらなくて、指折り数えて卒業の日を待っていました。
最終の定期試験をおえて、「卒業できるぞ!」と確定した日には
父から譲り受けていたデスクを木製なのをいいことに
トンカチ持って、家の外に出して解体しちゃいましたもんね!
近所のおじさん、びっくりしてました。
その後はまた専門学校に通えることになったんですが、
丸井で赤いスチールフレームでガラスの天板は白い格子柄。
当時8000円のモノを奮発して買って、座布団に座って課題やっていましたね。
このコはずいぶん長い付き合いで、単身の郡山にも一緒に行ったし
気に入っていたんですけど、弟が・・・・。
なぜか弟も母も私のものを欲しがる傾向がありまして、
「好きなテーブル買ってあげるから、そのガラスのテーブル頂戴。」
って言われて、10000円の木製の丸い座卓(ナチュラルな白木テイスト)と取り替えました・・・。今、思い出しても不思議です・・・。
一応言ったんですよ?10000円出すなら、自分の好きなの買えるのに???
有言実行の28歳
18歳でアナウンスの専門学校に入り、19歳でお金をもらってしゃべる仕事を始めました。20歳で卒業するまで学生と二足の草鞋?
と言うほどでもなく、学校法人になって1期生だった私たちの学年は
後輩たちに比べるのも失礼なほど、大成した人物がいなくてですね・・・あはは。
数人、プロとして生計を立てている人がいる程度です。
私は20歳の卒業から23歳の結婚まではほぼ専業で、と言っても
あるときは「ビジネス系のナレーターコンパニオン」
え?アップルってマックなの?なになに?どっちが社名????
こんな奴が最新マックの紹介をしてたんだから、バブルっつぅのは怖いです。
で、「イベント司会」「表彰式の進行」「日本選手権の実況と表彰式の司会」
「結構披露宴の司会」あ。「夏祭りやフェスティバル、企業の運動会や祭りなどの司会」とか・・・楽しかったなぁ。あと、ナレーションを吹き込む仕事も好きでした。
子供からおばあさんまで、声色を使い分けてCMを撮ったり。
そんな楽しい仕事でしたが、自分の実力は自分でわかる。
30歳超えたら通用するほどの力はない。
当時はまだ「局の女子アナでさえ、30歳定年説」が根強かったですからね。
28歳で事務所からの仕事を断り、たまに知り合いの結婚披露宴の司会をする程度に。
30歳からは猛勉強の日々。
消防設備士や電気工事士。あげくは業界ごと転職して診療情報管理士。
30歳からはいろいろ勉強した~。
なのに専門がない
合間にはエクセルで給料計算の数式組んだり、他社の頼まれパソコン仕事を
社長が勝手に受けてきて、泣きながら徹夜でやっつけたり。
いろいろやったけど、なんにもモノにならなかった・・・。
受験資格として2年の通信教育が必要な「診療情報管理士」以外はすべて独学。
まぁ。。。通教も独学みたいな?もの・・・?
専門はこれから作る!と言うところでリタイア。
なんつう人生だろう・・・。
お華だって師範持っているけど、教えているわけでなし。
あと3か月ちょっとで、休職してから丸2年です。
専門かぁ・・・。